QUOD ERAT FACIENDUM

中学生〜社会人まで。なんの変哲もない凡オタクの雑記

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4年前に亡くなった曾祖母に思いを馳せるたびに尊敬と感謝の気持ちが溢れてきます。
それは戦時に病気で夫を亡くした後に戦後のごたごたの中を女手一つで家庭を支えた事、子供が独り立ちしていった後も我が母姉妹の面倒を良く見ていた事等々、まあ今自分がここに生を受けまともな生活が出来ている大元になっている要因を思えば至極当然なことに思われます。

意識が最後にはっきりしていたときにたまたま居合わせていたのですが、あれは丁度中学卒業後の少し長い春休みの途中でした。
家に掛かってきた電話をとると曾祖母。普段そんな事は全くないので不思議に思って話を聞くと壁にかけてある時計の電池が切れて動かなくなったので電池を取り替えてほしいと。
少々面倒に思いつつも、昔からよく世話になっている事を思えばたまには顔を出すのもいいかと思って曾祖母の家に向かいました。
到着してすぐに天井近くの壁にかけてある時計の電池を軽く取り替えた訳ですが、曾祖母は落ち込んだ様子でした。

「おらんなもうなんも動かん体になってしもうて椅子に登るのもできんなってしもうた」と。
齢にして96を数えていた曾祖母。そんな年の人間なんてうっかり転ぼうものならそれだけで骨折ものです。当然フォローを入れます。そんな当たり前の事気にせんでも、と。
「いいや、おらなもう役立たずの人間になってしもうた」と。その皺の奥の表情には寂しさが伺えました。

これまで長い事頑張って生きてきたのだから気張る事もないだろうに、何故そこに拘るのか。

なんとなく嫌な予感がしたので、「そんな悲しい事言わず、また困ったことがあったら自分で無理せずに頼ってくれ」と伝えてその場を後にしました。「自分は役立たずになってしまった」という言葉が頭から離れなくて、悲しくて帰り道に目頭を熱くしました。

「椅子から滑って転んで腰の骨を折ったから病院に担ぎ込まれた」と親から聞いたのはそれから数日後の事でした。

そしてその後、自分の世話を自分でしていたからこそ痴呆の症状も少なく過ごせていた私の曾祖母がまともに会話も出来なくなるのにそう長い時間はかかりませんでした。その1年後、97にして往生するわけです。

今にして思うとあれが曾祖母の私への遺言であったと思わずにはいられない不思議さがあの瞬間にはありました。
そして嫌な予感が的中する事になってしまった骨折。何故曾祖母が転ぶなんて事は起こってしまったのか。
自分はまだまだイケることを確かめたかったのでしょうか。だとするならば、結局骨を折るという結果になってしまったときの曾祖母の気持ちを思うと…
そして今も思うのです。「曾祖母はその無念さを胸に往ってしまったのだろうか」と。
私としては、心から尊敬する曾祖母には何の悔いも無念も無く往生してあちらで夫婦仲良くしていてほしいのでこの点が非常に気になる訳です。

貴女が私の誇りであるように、私も願わくば貴女の誇れるような人間になりたいものです。
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